Ferran Hurtado

更新がいつもお悔やみばかりですが,Ferran Hurtadoが亡くなった,というニュースが来た.離散幾何・計算幾何の先駆者のひとりで,スペインのコミュニティーの生みの親といってよい.

おそらく最後に会ったのは,今年の冬のベルリン.もちろん,こんなことになるなんて微塵も感じさせていなかった.

Ferranと論文を書くことができたのは,私にとってもよい経験だし,それをFerran自身も楽しんでいてくれていた気がするので,また一緒に研究ができればうれしいと思っていたのに.金沢でJCCGGがあったとき,私の講演の後で,「よかったよ」と声をかけてくれたことも忘れられない.

ご冥福をお祈りします.

グラフとネットワーク

明日から『グラフとネットワーク』という講義が始まるので,いろいろと思うことを書いておく.

まず,このような授業をやることを依頼されて,それでシラバスとか考えて,立ち上がったわけだけども,この講義の名前が『グラフ理論』になりそうだったが,それは避けられた.もっとも,『グラフ理論』をやってもよいわけだし,私が『グラフ理論』の講義をすることもできるし,実際『グラフ理論』の講義もやったことがあるのだけれども,この『グラフとネットワーク』は「グラフ理論」の講義ではない.実際依頼された内容を考えれば『グラフ理論』などという名前を付けることは,学生に対して間違った印象を与えるだけで,害悪であるとさえ思える.

よく大学の講義名に「○○」のあとに「理論」をつけて『○○理論』としてしまうものがあるが,それが本当に「○○理論」なのかどうかということを反省する必要がある.日本の大学において『グラフ理論』という名前がついている講義のほとんどは「グラフ理論」ではないと思う.なんでも,中身をわからず「理論」とか「論」とかつければよいというものではない.

こういうことをいうのは,私自身が「グラフ理論」を非常に狭くとらえているからだとも思える.その理由のひとつは,日本の学術界において,「グラフ理論」という数学をやっているコミュニティと「グラフ・アルゴリズム」の研究をしているコミュニティにはほとんど交わりがなく,それに付け加えて,電気回路やVLSI設計の方からグラフの研究をやっているコミュニティもあり,この3つは交わりがあるのかないのかよくわからないような形になっていると私は思う.代数的組合せ論も入ってくるとわけがわからなくなる.(これら4つの分野で,同じ数学的概念に対して異なる名称が用いられることがしばしばあり,それが混乱をもたらすこともある.) しかし,大学の講義として『グラフ理論』があるとき,そこで議論されるものの半分以上は「グラフ・アルゴリズム」である.上のような交わりがあるかないかわからないという意味において,それはグラフ理論ではない.

Ron Aharoniという研究者がいるが,大昔,私が学生だった頃,一緒に昼食を食べた (もちろんRon Aharoniがそれを覚えているとは思えないけれども).そのとき,『グラフ理論』では何を教えるべきか,という話を彼はした.そのときの彼の主張をおぼろげな記憶ながら思い出すと,『グラフ理論』は数学だから数学を教えるべきだ,と.つまり,極値グラフ理論のような「王道」のグラフ理論である.その一方で,アルゴリズムに関する話は別の講義,たとえば「組合せ最適化」の講義で教えるべきだ,と.私自身はその考えにとても共感する.

なので,私自身,私の講義の名前を『グラフとネットワーク』とできたことには満足していて,これにより,純粋なグラフ理論をやらなくても間違った印象を与えることが少ない,という準備はできた.あとは,学生が勝手にこれを「グラフ理論」とか呼び出さないことを願うだけである.私はおそらく講義中に一度も「グラフ理論」ということばを出さないだろうから.この『グラフとネットワーク』という講義では,グラフに関する数学的性質,グラフを用いたモデル化,グラフに関するアルゴリズムのすべてを扱い,特に数学的性質とモデル化が強調される (アルゴリズムの講義は他にもあるから,詳細はそちらに任せることにする).特に,モデル化については,数学的概念がどのように使えるのかということを学生が体感するためになくてはならない部分であり,それは1つの講義で,しかも学部3年生の段階で細かく扱うことには無理があるが,できる限り,おもちゃの例にならないように,進めていきたいと考えている.(このために,昨年度中央大学で担当した『最適化手法』が役に立つ.ありがたい.)

もう1つ.「グラフを使うこと」と「グラフ理論を使う」ことは明確にわけられなくてはならない.グラフを使うだけではグラフ理論を使うことにはならない.それは,整数を使うだけでは整数論を使うことにならないのと同じであるし,表計算ソフトを使うだけでは線形代数を使うことにならないのと同じである.

ETH Zurich Big Band Japan Tour

http://www.ethbigband.ch/

ETH Zurich Big Bandがジャパンツアーを今月行うそうです,って今知りました.
東工大のは宣伝でてますね.他の大学もでてるかもしれませんが,詳しく調べてないので,のせません.

白と黒のとびら

読んでいて,これほど「やられた」と思った本は今までなかったかもしれない.オートマトン形式言語といった,私にとって研究上身近な題材ではあるが,それをこのような観点で見るという視点が私には全くなかった.新しい視点が得られたことと,それをこのように料理し,おもしろく楽しく紹介されたことについて,著者の能力を羨む気持ちにもなった.(私は他人を羨むということがめったにないけれども,このときはそういう気持ちになった.)

内容は,オートマトン形式言語に関する教科書的なものである.しかし,これがこの本では冒険ファンタジーのような形で紹介される.それは,数学を対話的に勉強していくといったものとは違い,主人公が自分で悩み,自分で考え,答えに辿りつく,という,つまり,数学を勉強する人,そして,研究する人の営みを見せている.卓越している点は,オートマトン形式言語の教科書に出てくる,ある種「無味乾燥」な内容を,オートマトンは白と黒のとびらを持つ部屋から構成される遺跡,形式言語 (文法) は詩として登場させて,冒険ファンタジーの世界観を形成しているところである.途中で何度か出てくる師のことばの端々には,研究とはどういう心掛けで行うものなのか,ということについて,私にとっては戒めや励ましのように聞こえる部分がある.

私はこの本で扱われている題材について,多くのことを知っているので理解がしやすかったのかもしれないが,そうでない人にとっては少々難しい内容なのかもしれない.しかし,そうであったとしても,主人公が悩みぬく様子や,主人公を取り巻くキャラクターとの関係は,中学生や高校生にもわくわくしながら楽しく読める内容になっているのではないかと思う.もちろん,オートマトン形式言語を勉強する大学生にも薦められる.

数学セミナー2013年12月号

出版社在庫はもうないそうです.ありがたい話です.
なので,書店に並んでいるものがすべてなので,まだご購入されてない方はお早めに.