離散数学パズルの冒険 3回カットでピザは何枚取れる?

離散数学パズルの冒険 3回カットでピザは何枚取れる?

離散数学パズルの冒険 3回カットでピザは何枚取れる?

長時間の移動があったので,読みました.

一般書のタイトルに「離散数学」という固いことばを入れてしまうところに驚きますが,原題は「How to Guard an Art Gallery (And Other Discrete Mathematical Adventures)」です.これを思うと「パズル」ということばをわざわざ邦訳には入れた,ということになります.「3回カットでピザは何枚取れる?」も原題にはないです.翻訳者か翻訳編集者はそこを推したかった,ということでしょうか.ちなみに「3回カットでピザは何枚取れる?」という話題は本の中に登場します.

著者は離散数学の研究者で,内容の方はというと,離散数学のいくつかのトピックを平易な語り口で解説しています.私の知らない内容もところどころあり,私も楽しめました.内容はとてもよいです.

しかし,残念なのは翻訳です.翻訳が悪いのか編集が悪いのかわかりませんが,もし,こんな日本語のレポートが大学で提出されたら,(私の基準では) 書き直しです.それはひどい誤植が多いということもありますが (どうしてこんなところに誤植が入り込んでしまうんだろう,というところにまであります),「てにをは」とか,主述関係とか,日本語として成立していない部分が割とあります.さらに,専門用語を適当に訳してる部分も散見できます.「エラー修正符号」という専門用語は存在せず,誰がどう考えても普通は「誤り訂正符号」です.その一方で「平方剰余の相互法則」はちゃんと訳せています.外国人の名前をカタカナで表記するときの規則も全く分かりません.

私の読後感として「翻訳者や編集者が,この本の内容を日本人に広めたいという強い気概が見えない」という気持ちが残ります.なんか,仕事で出版してるだけで,使命感が伝わってこないです.編集とか推敲とか,もっとちゃんとやってもらえたらいいのに,と思います.残念です.(そう思うと,シュプリンガー・フェアラーク東京シュプリンガー・ジャパンの皆さんは素晴らしかったです.ありがたいです.)

大学にいると,英語の文献を読んで,その内容を発表する,ということをよくやるわけですが,文献を日本語に直しただけで理解した気になってしまう,という状況はよく見ます.(これは,教員になったからそう思うのではなくて,大学4年生ぐらいのときからそう思ってます.) 日本語になっていれば理解できる,というのは大きな幻想で,それが幻想であると気付けないことは危険です*1.日本語に直すということと理解するということは全く別のことです.(日本語の) 難しい文章を読んで理解しようとするという経験とか,自分の考えを (日本語で) うまく言語化できないもどかしさを持つという経験とか,そういう言語体験が乏しいのでしょうか.それともそんなものはとっくの昔に飛び越えて,何か私の知らない境地が見えているのでしょうか.

*1:「日本語になっていなければ理解できない」というのが正しい場合があるのは承知してます.