京大入試のネット投稿問題のはなし

いろいろと書きたいことはあるけど自制.じかに (face-to-faceで) 聞いて下さい.ネット投稿自体にはあんまり興味がないけど,それにまつわる言説の方に興味が.
以下,聞かれたときのためのメモ.

  • 大学はいろいろな入試をしていて,いわゆる一芸入試 (AO入試) のようなことをしてるところもあるし,筆記試験であっても,目指すところは大学によって異なる.筆記試験による入試で志願するのは受験生の方なのだから,それが嫌ならばそうでない入試をしている大学を志望すればいい.多くの大学は「アドミッション・ポリシー」を公開しているけれども,そういうものを受験生は理解しているのだろうか.(入学試験はアドミッション・ポリシーと連動してなければならないが,実際そうなっていない,ということはあるかもしれないし,おそらくあるだろう.これは大学の中のどこかの部門,あるいは個人がそういう仕組みを理解していない場合,あるいは無視している場合に起きる.)
  • 結局,大学入試は大学,受験生,受験産業の間のゲームと見なせる.大学入試では受験生の受験環境が公平になるように大学が多くの努力とコストを割いている.その公平さが大学入試の要であるが,コストをそれほど多くかけられない現実もあると思う.また,カンニングが受験生にとってある種の均衡とならないようなメカニズムになっている (はずである).ちなみに,就職活動も企業,大学生,就職情報産業の間のゲームと見なせる.企業は志望者への対応が公平になるような努力とコストをどれだけかけているのだろうか.
  • 大学入試は人々の大きな興味の対象のようだけども,大学の中での定期試験など,大学の中で大学生がどのように評価されているのかということについては全然興味の対象にならないようである.「大学の入り口」しか見ていない人々が「大学生が社会で使いものにならない」と言うならば,そのような人々は大学に何を期待してるのだろうか.
  • まぁ,この事件を契機として,なぜか大学入試に関する議論が進むならば,それはそれでよいと思う.

ここで「○○だろうか.」と書いている箇所は反語でなく,問いかけである.私が知らないだけだから.